献血に行く理由

叔父が好きだ。以上。

 

端的に言うとこれだけなのだが、あまりにも酷いのでもう少し書く。

わたしが20代半ばにしてやっと重い腰をあげて献血に行く気になったのか。

 

わたしと叔父とは20歳近く年が離れている。母の弟だ。

間柄はまごうことなき叔父だが、どちらかというと「年の離れた兄」くらいの距離感だ。

経緯は省くが、とにかくわたしは叔父が好きだ。幸せになってもらいたい。

自分の結婚式のときには父親ではなく叔父と一緒にバージンロードを歩きたいと願うくらいには好きだ。

お嫁さんを連れてきたときには心底喜んだ。親戚内では反対する声もちらほらあったが、叔父がこの女性と一緒に幸せになりたいなら充分だとわたしは思った。そして叔父は結婚した。お嫁さんは血のつながらない姪っ子にも優しくしてくれた。子ども(わたしにとってはいとこ)も生まれた。反抗期まっしぐらだが、大変可愛い。

紆余曲折ありつつも、幸せだった。

 

しかし叔父が40歳を過ぎた頃大病を患った。病名は伏せるが、難病である。完治する見込みが無いわけではないが、再発の可能性だってある。

医療関係の仕事を目指し勉学に励んでいたため、良くも悪くもその病気のことは分かっていた。

幸い寛解し、今のところ再発もしていない。だが対症療法として入院中は輸血が必要だった。手術後の自己輸血ではない、見知らぬ誰かが提供してくれた輸血である。

そして叔父は助かった。

 

わたしは注射針をさされることが嫌いだった。こわい。採血もワクチン接種もできれば避けたい。だけど叔父が死ぬことのほうがずっとこわい。

見知らぬ誰かのおかげで叔父が助かったのに、どうして自分は「こわい」などと棚に上げているのだろう。わたしはわたしがとても情けなくて、惨めに見えた。

当時25歳だったと思う、はじめて献血ルームに行った。京都駅とヨドバシカメラの間に位置するビルのワンフロア。その後も何回か足を運び、献血できたり、ヘモグロビンが少なくて断られたり、様々だ。今のところ半々の打率で献血前の血液検査をクリアしている。

 

献血に行こう!と呼びかけている場はいくらでもあるのでそういったことはお任せしたいところである。わたしはインフルエンサーではないので、せいぜい周りの人に雑談のように「このあいだ献血に行ったんだ〜」と話すくらいしかできない。

 

献血のCMを見る度にわたしは叔父が死ぬことを想像してしまって涙が出る。献血ルームの掲示物や、輸血を受けた患者さんのメッセージを読むだけでも泣く。

同じくらい、叔父が死ななくてよかった、という安堵と喜びで泣く。

それから、叔父のように誰かがこれで助かってほしいな、という祈りで泣く。

悲しくて嬉しくて泣きながら、からだから400mLの血液を抜いてもらう。これがわたしの祈りの形であり、叔父を生かしてくれたことへの感謝の形である。

 

わたしは叔父が好きだ。

 

余談。

先ほど今年の広瀬すずさんのCMを公式HPで見たが、最後まで涙は我慢できなかった。「今年は広瀬すずだけど、去年は羽生選手だったっけ〜」と思ってYoutubeで羽生選手の二十歳の献血CMを見たが、もう5秒でダメだった。号泣である。BGMの「別に特別な力があるわけじゃない〜」の歌詞でもうダメ。

いくら涙もろいとはいえ、これは恥ずかしいので治したい。